藤田観光の創業者、小川栄一に学ぶビジネスチャンスのつかみ方
小川栄一
藤田観光の事実上の創業者で、元社長
1900~1978
不平はエネルギーだ。人間は不平がなければ、働く意欲を失ってしまう
小川栄一は、長野の生まれである。
京都帝国大学を卒業した小川は、安田信託銀行に入行。
その後、複数の企業の役員を歴任した。
藤田観光のルーツである藤田組は鉱山経営を主な業務としていたが、第一次世界大戦の特需に乗って銀行業にまで手を伸ばして財閥化していた。
しかしその後、経営がおもわしくなくなり、銀行は閉鎖。
さらに太平洋戦争末期には、国策によって主要鉱山が分離され、とうとう鉱山経営から撤退。
新たに藤田鉱業を設立したのである。
この戦後の混乱期に、小川は藤田財閥の整理を依頼され、藤田鉱業を鉱山部門と不動産・観光部門の二つに分離して、不動産・観光部門を藤田興業株式会社とした。
やがて、昭和24年(1949)小川はこの藤田興業の社長に就任した。
当時はまだ戦争の傷跡があちこちに残っており、人々の心も荒んでいた。
そこで、小川は「戦争で傷ついた人たちのために、憩いの場所を提供したい」と考え、箱根にあった藤田財閥の別荘を旅館に改造し「小涌園」としてオープンしたのだった。
さらに、山県有朋の屋敷があった「椿山荘(ちんざんそう)」を購入。
焼け野原になっていたところに、四年以上の歳月をかけて一万本を超える樹木を移植し、見事に椿山荘を甦らせたのも、彼の陣頭指揮によるものだった。
このように、美しい景観の土地と旅館を組み合わせた観光施設は、戦後の高度成長期に「都会人のオアシス」として評判になり、昭和30年には藤田興業の観光部が独立して藤田観光になったのである。
こんなオアシスに一生いられれば、どんなに満足だろう。
しかし、小川の言葉どおり、すべてに満足していてはモチベーション(やる気)を発揮することはできない。
人間は空腹だからこそ、食物を得ようとするのだ。
それこそが、ハングリー精神だろう。
不平や不満があることを嘆くのではなく、そのことに感謝して生きる力にしたいものだ。
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