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紀伊國屋書店の創業者 田辺茂一に学ぶビジネスチャンスのつかみ方

田辺茂一に学ぶビジネスチャンスのつかみ方

田辺茂一
紀伊國屋書店の創業者
1905~1981

何でも時代のせいにしてれば、そりゃ楽だ

田辺茂一は東京・新宿で炭を取り扱っていた「紀伊國屋」の長男として生まれた。
大正15年(1926)に慶應義塾高等部を卒業、その翌年に新宿に紀伊國屋書店を創業している。
茂一が跡を継いでくれるものとばかり思っていた父は大いに驚いたが、じつは、彼が書店経営を目指すようになったのは、小学校時代に父が丸善へ連れて行ってくれたことがきっかけだった
そこで、それまで見たこともない数多の洋書に出会い、茂一は幼いながら「いつかはこんな書店がやりたい」と思ったのである。
昭和3年(1928)には小学校時代の同級生で作家の舟橋聖一らとともに、同人誌「文芸都市」を創刊するなど、出版事業にも手を広げ、順調な経営を続けていたが、太平洋戦争によって大打撃を受け、一次は書店経営からの撤退を真剣に考えたという。
しかし、角川書店の創立者・角川源義に激励され、書店を再開。
昭和21年には株式会社に改組し、昭和23年には夢だった洋書輸入を開始した。
「書店はスペースが命」という考え方のもとに、地上九階地下二階という当時としては驚異的な大型ビルを新宿に建設し、本社とした。
そして昭和44年には大阪・梅田に、当時日本最大の坪数(700坪)を持つ書店をオープンするなど、書店の大型化を先導していった。
ちなみに冒頭の言葉は、ラジオのインタビューで「炭屋の片隅で始めた本屋が日本一になるような時代というのはもう来ないんでしょうね」と問われたときの茂一の答えである。
事業や計画が失敗したとき、「タイミングが悪かった」「時代の先を行きすぎた」「もっと早くやっていれば」といった言い訳をよく耳にする。
茂一の語っているとおり、これほど楽な言い訳はない。
本来、事業や計画というのは、時代のニーズやタイミングまでを推し量って進めるものだ。
つまり、タイミングを考えるのも事業や計画のうちである。
それにもかかわらず、失敗の責任を時代のせいにするのは、ビジネスパーソンとしては「姑息」なのではないか。

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