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シャープの創業者 早川徳次に学ぶビジネスチャンスのつかみ方

早川徳次に学ぶビジネスチャンスのつかみ方

早川徳次
シャープの創業者
1893~1980

よいアイデアの生まれるのは、儲からなくてなんとかしようと苦しんでいるときである。だから私は、儲かることをあまり喜んでいない。

早川徳次は東京の商家に生まれた。
もとは裕福だったが、徳次が生まれた頃には家業が傾き、出野家に養子に出された。
だが、出野家では食事も満足に与えられないような扱いを受け、八歳になるとかんざし屋に奉公に出されてしまったのである。

徳次は、十八歳のときにかんざし屋で身につけた金属加工技術を利用し、ベルトに穴を開けずに使えるバックルを発明。
徳次はこのバックルを「徳尾錠」と名付け、明治四十四年(1911)に特許を取得。
そして五十円の資金で独立した。
ちなみに、独立資金五十円のうち四十円は借金で、最初の従業員は彼を含めてわずか三名だった。

爆発的なヒットになった徳尾錠の売上げで、徳次はまた新しい発明をした。
それが、シャープペンシルである。
彼は大正四年(1915)に「早川式操出鉛筆」として特許を取得。
当初の売れ行きは芳しくなかったが、欧米に輸出したところ大ヒットとなり、それにつれて日本での売上も伸びていった。

大正十二年、事業を拡大しつつあった徳次を関東大震災が襲う。
震災によって彼は妻と二人の子供、そして工場を失う。
彼は、シャープペンシルの特許を日本文具会社に売却して借金をすべて返済し、大阪へ移った。

大正十三年に早川金属工業研究所を設立した徳次は、日本文具会社の下請けをしながら、当時アメリカから輸入され、ひどく高価だったラジオの国産化に挑戦。
大正十四年に完成したラジオは、ちょうどその年から大阪でラジオ放送が始まったのを受け、爆発的に売れた。
これが現在のシャープの基礎になったのである。

人生山あり谷ありとは言うが、これほど起伏の激しい人生も珍しい。
凡人ならへこたれてもおかしくない状況だが、徳次は谷にあっても必ずチャンスをつかんだ。
冒頭の言葉どおり、山頂にいるときは「喜べない」といっているほどだ。
人生の谷間にいると、「もうダメだ」と思いがちだが、谷間にこそチャンスや大ヒットがあると思えば、乗り切ることができるはずだ。
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