諸井貫一に学ぶビジネスチャンスのつかみ方
諸井貫一
秩父セメント(現在の太平洋セメント)社長、埼玉銀行(現りそな銀行)会長などを歴任
1896~1968
全員反対したものだけが、一考に値する。 経営者はこうしたマイノリティの論理を駆使しなければならない
諸井貫一は東京都の生まれである。
諸井家は、日本の近代的郵便制度の創始者・前島密から郵便取扱所の許可を受けた地元の名士で、貫一の父・恒平は秩父セメント(現在の太平洋セメント)の創始者だった。
東京帝国大学大学院経済学研究科を卒業した諸井は、同大学の工学部と経済学部で、工業経済論の講師を務めた。
だが、諸井と親戚関係にあった財界の大御所、渋沢栄一に家業を継ぐように説得され、大正十四年(1925)に秩父セメントに入社。
その一方で、大学の講義も昭和十五年まで持ち続けた。
太平洋戦争終結後の昭和二十三年、諸井は秩父セメントの社長に就任。
同社を優良企業に育て上げるとともに、経済同友会、日経連、経団連といった経済団体の創設にも大きく関与するなど、日本経済の復興に大きな貢献を果たした。
経歴だけを羅列すると、まるで「石橋を叩いて渡る」人物のようだが、諸井は冒頭にあげた言葉のようなマイノリティの重要性、全員一致の危険性を強く主張している。
人には「同調」という心理がある。「この人たちの意見は本当に正しいのだろうか」と思っていても、周囲が「正しい」「正しいに決まっている」と口々にいうと、正しく思えてしまうという心理である。
討議をしていると意見が危険なほうへ傾くことがあるが、これも「同調」によるもの。
みんなが賛成した意見は正しいと思いがちだが、諸井はそれが間違っていることをしっかり見抜いていたということだ。
彼は次のような言葉も残している。
「マジョリティ(大勢)が現在を作り、マイノリティ(少数)が未来を創る」
爆発的にヒットした商品ーたとえばソニーのウォークマンなどーは、少数派の意見によって作られたものが多いということを心に留めておきたいものである。
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