日産自動車会長カルロス・ゴーンの失敗から学ぶ成功学
カルロス・ゴーン
フランスの自動車会社ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)
日産自動車の会長、三菱自動車工業の会長。
またルノーと日産の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)をも兼務する。
1954~
いつも失敗の口実を探す。 これが日産の一番の敵だ。
カルロス・ゴーンは、ブラジルのロンドニア州に住むレバノン系ブラジル人の父と、やはりレバノン系フランス人の母の間に生まれた。
家族は、ゴーンが六歳のときにレバノンへ戻り、彼はベイルートにあるイエズス会系のノートルダムカレッジで教育を受けた。
やがて十七歳になったゴーンは、さらなる高等教育を受けるためフランスへ単身渡り、グランド・ゼコールと呼ばれる高等教育機関を経て、エコール・デ・ミーヌ(高等鉱山学校)へ進んだ。
フランスのタイヤメーカー、ミシュランに入社したゴーンは順調に出世し、ミシュラン・ブラジルの最高執行責任者となった。
その後、ミシュラン北米の最高執行責任者となったゴーンはルノーに移籍、副社長に就任する。
不採算の工場の閉鎖など徹底的なコストカットを行い、赤字に苦しんでいたルノーをわずか数年で黒字に転換させた。
健全な経営となったルノーは海外の自動車メーカーの提携先を探し始めた。
そのときに日産を推薦したのがゴーンである。
1999年、彼の思惑どおり日産が提携先(事実上の子会社)に選ばれたのを受け、ゴーンは日産の最高執行責任者になり、その翌年に社長に就任。
借金を2003年までに全額返済し、十五%以下にまで落ち込んでいた国内シェアを二十%近くまで回復させることに成功した。
ゴーンは日産でも徹底したコストカットをみせた。
日産発祥の地といわれる村山工場を売却し、大幅なリストラをした。
だが、彼が最も必要と考えたのは、社内の改革だったのである。
ゴーンが日本へやってきたとき、日産は二兆円もの借金を抱えて苦しんでいた。
スタッフは汗だくで不振の理由を説明したが、ビジョンを口にする者は皆無だった。
彼は、それが一番の敵だと直感的に悟り、冒頭のような言葉を告げたのである。
失敗は誰にでもある。
失敗の原因を究明するのは大切なことだが、言い訳ならいらない。
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