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スズキ株式会社会長 鈴木修に学ぶ 成功する人のお金の使い方、活かし方

スズキ株式会社会長 鈴木修に学ぶ 成功する人のお金の使い方、活かし方

鈴木修
スズキ株式会社会長
1930~

経営とは数字である。 同じく仕事も数字である。

鈴木修は、岐阜県の松田家に生まれた。
昭和28年(1953)に中央大学を卒業すると、中央相互銀行(現在の愛知銀行)へ入行。
しかし、昭和33年に鈴木俊三(スズキの二代目社長)の娘婿となった関係でスズキへ入社した。

鈴木は、昭和38年にわずか33歳で取締役に就任した後、常務取締役、専務取締役等を経て昭和53年に社長に就任。
それから40年近くにわたってスズキのトップにあり続けている。

その間に、アルト、ワゴンRなどのヒット商品を生み出すと同時に、昭和56年にはゼネラルモーターズ(GM)との業務提携を行い、就任時には1700億円だった売上高を3兆円以上まで伸ばした。
ちなみに、軽自動車ナンバーワンの座も30年以上も守り続けていた。
近年はスイフトなどの小型車が好調なために、その生産を確保するため軽自動車を「わざと」減産しているが・・。

40年以上も企業のトップに君臨し続ける経営者というと守備型というイメージを抱きかねないが、鈴木は「締めるところは締め、使うべきところは使う」という、とてもバランスの取れた考えの持ち主である。

たとえば、鈴木は自動車メーカーを持たない発展途上国へ積極的に進出し、現在では18カ国に生産拠点を展開し、140カ国以上で自動車の販売を行っている。
しかし、発展途上国への進出は「売上げ的にはメリットはなく、オールデメリット」(鈴木)だという。
経営が数字というなら、なぜそのようなデメリットを続けているのだろうか。

その理由について鈴木は次のように話している。

「アメリカのおかげで日本は戦後の焼け跡から立ち上がることができた。発展途上国へモノ作りを伝えるのは、その恩返しなんです」

経営が数字というのは紛れもない事実である。
しかし、数字ばかり追い求めていては素晴らしい人材は集まらないし、お客の心を掴むこともできない。
心を掴むためには心が大切ということを知った上で、数字について述べるべきだろう。


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