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キャノン元名誉会長 賀来龍三郎から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」

キャノン元名誉会長 賀来龍三郎から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」

賀来龍三郎
キャノン中興の祖。元名誉会長
1926~2001

なんのために実行するのか、 ビジョンがなければ、効果があるはずがない

賀来龍三郎(かくりゅうざぶろう)は、大分で生まれた。
九州大学を卒業後、昭和29年(1954)にキャノンカメラ(当時)に入社。
当初は経理部に所属していたが、その後企画部に移り、企画課長を務めていた昭和37年に第一次長期経営計画を策定した。
当時、キャノンの売り上げの95%以上はフィルムカメラが占めていた。
賀来はこれを80%まで縮小し、事業の多角化を進める計画を打ち出したのである。
「フィルムカメラ事業以外の分野に積極的に進出する」と明記されたこの長期経営計画は、驚きと冷ややかな目で受け止められた。

しかし、御手洗毅(みたらいたけし初代キャノン社長)だけは彼の計画を理解していた。
当初は各部の抵抗を受けたものの、次第に多角化の方針は理解を得て、キャノンの業績は上向きとなった。
そしてその功績により、賀来は常務取締役を経て、昭和52年、51歳の若さで御手洗によって社長へ抜擢されたのである。

社長に就任した賀来は、「1990年までにキャノンを一兆円企業にする」とぶちあげた。
当時、キャノンの年間売り上げは2500億円ほどしかなかったから、13年以内に売り上げを4倍にするということだ。
この言葉に周囲は色めき立った。

だが、結果は予想以上だった。
賀来が社長を退く平成元年(1989)に、キャノンの売り上げは1兆3500万以上に達する。
そして現在では、フィルムカメラを除く事業が、キャノンの売り上げのほとんどを占めるまでになっている。

賀来は売り上げだけに注目していたわけではない。
彼は「優良企業構想(昭和51年に立案)」と「世界人類との共生(昭和63年に宣言)」というビジョンを持ち、キャノンを大企業に育て上げた。

しっかりしたビジョンを持たず、目的にただ突っ走るだけなら、公害をまき散らし、人を悲しませて一兆円を売り上げることもできる。
しかし、それでは尊敬される企業にはなれない。
売り上げや金はあくまでも結果であり、あとからついてくるものだといえる。
ビジネスを続けるうえで最も大切なのは、正しく的確なビジョンを持つことだ。


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