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元クラレ社長 大原総一郎から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」

元クラレ社長 大原総一郎から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」

大原総一郎
元クラレ社長
1909~1968

企業の在り方の中で、 官僚主義ほど発展を毒するものはない

大原総一郎は、岡山県で生まれた。
父は、倉敷紡績などの社長を務め、私財を投じて大原社会問題研究所や大原美術館などを設立した実業家の大原孫三郎。
総一郎は、その孫三郎の長男である。

東京帝国大学を卒業した総一郎は、父の経営する倉敷絹織に入社後、昭和14年(1939)、30歳の若さで倉敷絹織の社長に就任。
その後、世界初の国産合成繊維ビニロンの市販に成功するなど、さまざまな功績を挙げ、倉敷絹織を世界のクラレにまで押し上げたのである。

二代目社長というと、世間知らずのボンボンとか、遊び人というイメージがつきまといがちだが、総一郎は先代が「傑作」と太鼓判を押したとおりの大人物だった。
当時、大原家は倉敷紡績な(クラボウ)と倉敷絹織(クラレ)の二社の支配権を握っていた。
これが、独占禁止法に抵触するとして、総一郎はどちらかの企業を手放すように命じられた。
このとき総一郎が経営権を持つことを選んだのは、発展途上の倉敷絹織のほうだった。

総一郎はまた、国交回復前の中国にビニロンの製造プラントを輸出しようと奔走し、昭和38年にようやく政府の認可を受けて輸出にこぎつけたが、このときの動機は金儲けではなく、日本の戦争責任を痛感してのことだった。
このように総一郎の清廉ぶりは経済界でも有名で、あの松下幸之助が「こんな美しい経済人はいませんなあ」と言ったほどだった。

その総一郎が最も嫌っていたのは官僚主義だった。
官僚主義とは、自分で責任を取ることを回避し、前例や建前論を盾にして画一的な対応をすることを指す。
官僚主義というと公務員をイメージするが、組織が大規模になるに従って民間企業でも見受けられるようになる。
責任を追及されないためには、事なかれ主義で過ごすことがベストだ。
だが、それでは新しいものは生み出されない。
そこで足踏みをしているだけになってしまう。
自分自身もそんな官僚主義に陥っていないか、ときどき確かめてみる必要があるだろう。


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