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桜田武に学ぶビジネスチャンスのつかみ方
桜田武
元日経連名誉会長
財界四天王の一人
1904~1985
先人の踏(とう)を求めず、求めしものを求む
桜田武は広島県生まれ。大正15年(1926)に東京帝国大学を卒業後日清紡績へ入社。当時社長を務めていた宮島清次郎に見いだされて帝王学を学び、昭和20年(1945)41歳の若さで社長に就任した。周囲は「大丈夫だろうか」という目で桜田のことを見たが、宮島の目に狂いはなく、桜田は非繊維部門へ進出をはかるなどの経営手腕を見せ、日清紡績を産業界屈指の高収益企業へと育て上げた。
昭和23年に日経連が創設されると、総理時を経て昭和35年には代表常任理事に就任。小林中(あたる)(初代日本開発銀行総裁)、水野成雄(7フジテレビジョン初代社長)、永野重雄(新日鉄元会長)とともに「財界四天王」と呼ばれ、当時の池田内閣にも大きな影響力を持った。
ところが、昭和49年に日経連の会長に就任した桜田を待っていたのは、第一次オイルショックによる大幅なインフレだった。
それまでは、物価が上がれば売上げも伸びるのだから、賃金も上がって当然という気運があった。「先人の踏を求め」れば、経営者として、それは正しい決断だった。しかし、急激に進んでいたインフレは、それまでのものとは明らかに違った。
燃料費や原材料費の急激な上昇は、戦後初めての実質マイナス成長を日本経済にもたらしたのである。その状態で急激な賃上げが行われれば、インフレが加速すると同時に、企業経営が成り立たなくなるのは確実だった。そこで桜田は、組合の猛反発を承知で、賃上げの自粛を要請したのである(求めしものを求む)。
桜田のこの大英断によって賃上げは9%以下に急降下。しかし、急激なインフレは収束し、日本経済は破綻を免れることになった。
分岐点にさしかかったとき前の人がつけた足跡が右の道に続いていると、不安や安心感からそれをたどりたくなるものだ。しかし、その足跡が正しい方向へ続いているとは限らない。「左」という信念を持っているなら、足跡に惑わされずに左の道をとるべきだ。
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