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元伊藤忠会長 越後正一に学ぶビジネスチャンスのつかみ方
越後正一
元伊藤忠商事社長・会長
1901~1991
名を成すのは常に困窮のときであり、事の破るるの多くは得意の時である
明治三十四年(1901)滋賀県で生まれたのが、越後正一である。
神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を卒業すると伊藤忠商事に入社した。
生まれつき相場師の才能が備わっていたようで、入社直後から会社に莫大な利益をもたらしたようだ。
その功績が認められ、入社からわずか三年で綿糸布部長に大抜擢されることになる。
その時、彼の前にふさ立ちふさがったのが、丸紅だった。
じつは、伊藤忠と丸紅の歴史をたどると「紅忠」という同じルーツにたどり着く。
紅忠は、伊藤忠兵衛が設立した繊維の卸商で、伊藤忠と丸紅は、大正七年(1918)にこの紅忠が分離され設立した会社を前身としている。
二つの会社はともに「繊維はうちのもの」という強いライバル意識を持っており、とくに綿糸相場で激しい戦いを繰り広げていた。
越後が綿糸布部長へ抜擢されたときにその戦いのピークを迎えていたのである。
目の前に大きな障害物が現れたとき、その人の度量や才能が試されるとよく言われる。
越後にとっては、このときがまさにそうだった。
彼は逃げることなく丸紅と真っ向勝負し、勝利を得た。
この昭和二年(1927)の綿糸相場は、いまも「大相場」として語り継がれており、戦いに敗れた丸紅は大きなダメージを受け、綿糸経営からの撤退を余儀なくされたほどだった。
障害物が現れたとき、最も手っ取り早く楽な選択肢は「逃げる」ことである。
実際、そうしている人も多いはずだ。
しかしそんなときは、これが名を成すための道と考えてみたらどうだろうか。
障害物の先に成功があるとわかっていれば、「乗り越えてやろうじゃないか」というやる気も出てくるだろう。
だが、「逆もまた真なり」である。
越後が、「事の破るるの多くは得意のときである」と語っているのは、まさにそのことである。
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