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セコム創業者 飯田亮の失敗から学ぶ成功学
飯田亮
セコム創業者
1933~
企業は潰れるからいいんだと思う。 経営に失敗しても救済されるというのでは緊迫感がない。
飯田亮(まこと)は、東京で酒類問屋の「岡永」を経営する家の五男として生まれた。
学習院大学を卒業後、父の会社「岡永」に就職。
父は江戸商人の末裔で曲がったことが大嫌いという性格だったため、仕事の教え方は大変厳しかったという。
飯田は入社六年目に、大学の同窓生戸田寿一とセコムの前身である「日本警備保障株式会社」を創業するために退社したいといいだす。
飯田が起業した当時、日本では「水と安全はタダ」と考えられており、企業にしても国民にしても、その自衛意識は低く、父親も大反対。
「会社を辞めるなら勘当する」とまでいわれたという。
飯田は勘当されながらも日本警備保障株式会社を創業し、代表取締役社長に就任した。
飯田の追い風となったのは、昭和三九年(1964)に開催された東京オリンピックであった。
日本警備保障が東京オリンピックの警備を一手に引き受けることになり、知名度と信用度が急上昇し、会社も急成長を遂げる。
また、日本警備保障は昭和四○年四月から放送が始まった「ザ・ガードマン(最高視聴率四一%)」というテレビドラマのモデルともなり、さらに知名度をあげることになった。
飯田は歯に衣着せぬ経営者としても有名だ。
経営者が「企業は潰れるからいい」などとは非常識・・・という批判もあるだろうが、これは常に危機感を持てということだ。
漢の武将・韓信はわずか一万二○○○の兵で、二○万の大群を持つ趙を責める際に、わざと川を背にして退路を断ち、招へいたちに決死の覚悟をさせて敵を破ったという(「背水の陣」という言葉の由来になった故事)。
小が大に挑むとき、負けてもなんの咎めもなく許されるのでは、勝ち目がないどころか、闘うモチベーションさえ発揮されないはずだ。
近年、老舗といわれる企業が不祥事を起こして経営の危機に追い込まれるケースが多発しているが、これは潰れるという危機感を失い、傲慢になった結果といえるだろう。
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