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双日の創業者 高畑誠一から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」
高畑誠一
日商株式会社(現在の双日)の創業者
1887~1978
一人だけオフィスに取り残されたとき 「これからはおれが一国一城の主なんだ。世界を相手に暴れまわってやるぞ」 と心の中で叫んだものだ
高畑誠一は、愛媛県で小売業を営む家に生まれた。
彼の優秀さは学生時代から発揮されていて、神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を主席で卒業している。
高畑は三井物産への入社を望んでいたが、同社は明治40年(1907)にアメリカから始まった大恐慌の影響を受け、その年の採用はなかった。
やむを得ず中堅商社の鈴木商店に入社した高畑は、大正元年(1912)にロンドン支店勤務になる。
第一次世界大戦前夜のヨーロッパは、各国がこぞって食料や鋼材を買い付けていた。
そこに目を付けた高畑は、驚くほど高額の取引を次々成立させ、彼一人で現在の金額に換算して数百億円もの売買を行ったという。
その功績が認められ、高畑は29歳にしてロンドン支店長になった。
大戦が勃発すると、鈴木商店の商品取扱量はさらに増え、ピーク時には「スエズ運河を通る船の10隻に1隻は鈴木商店がチャーターしたもの」といわれ、同社は50以上の別会社を持つ財閥にまでのしあがったのである。
その後再び世界を襲った大恐慌と関東大震災などで鈴木商店は倒産するが、高畑は子会社だった日本商業会社を日商と改め、再び同社を総合商社に育て上げた(後に日商岩井となり、現在は双日)。
高畑は仕事の鬼だった。
ロンドン支店には夜中でも明かりがともり、高畑があちこちに電話をかけまくっていたという。
戦時中という大きなリスクを抱えながら売買を続け、ときには買い手が決まる前に貨物船を出航させ、航行中に商談をまとめてしまうという綱渡りもこなした。
その辣腕ぶりに、高畑は「カイザー(皇帝)」というニックネームで呼ばれたという。
残業でオフィスに取り残されると、気分が腐るというひとがいる。
しかし、ものは考えようだ。
高畑のように、一国一城の主だと思えば、やる気も結果も必ず違ってくるはずだ。
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