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吉野家元社長 安部修仁から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」
安部修仁
アルバイトとして働いていた吉野家で平成3年に代表取締役社長に就任する。ミスター牛丼とも言われる。
1949~
勝つまでやる。だから勝つ。
福岡で生まれた安部修仁(あべしゅうじ)は、福岡県立香椎工業高等学校を卒業後、上京して日本大学へ入学した。
だが、彼の目標はサラリーマンではなく、プロのミュージシャンだったため、彼はアルバイトをしながらR&Bバンドで活動を続けた。
そのアルバイト先というのが、牛丼の吉野家だ。
安部が吉野家を選んだ理由は「時給が高かったから」で、腰掛け程度にしか考えていなかった。
ところが、安部はいつの間にかミュージシャンの途を諦め、大学を中退して吉野家の社員になる。
その理由を聞かれると、安部は必ず「松田さん(松田瑞穂。吉野家の当時の社長)に惚れ込んだから」と答えたのである。
急激な右肩上がりの業績を見て、松田は吉野家のチェーン店化に乗り出す。
チェーン展開は順調に進み、安部は昭和52年(1977)に九州と地区本部長になった。
ところが、急激な拡大の無理がたたり、吉野家は昭和55年に倒産。
もし「松田さんに惚れ込んだから」という安倍の言葉が嘘だったら、おそらく彼は吉野家から逃げ出していたはずだ。
だが、安部は松田とともに会社に残り、再建に乗り出す。
会社更生法の適用を受け、昭和58年には取締役として経営に参加、さらに、セゾングループの出資を受けることに成功し、平成3年(1991)にはアルバイトから叩き上げた社長の誕生となる。
なぜ、安部は社長にまで上り詰めることができたのか?
それは彼自身の言葉どおり、勝つまでやり続けたからであろう。
負けそうになったときにいちばん簡単なのは逃げ出すことだ。
だが、逃げ出したら勝つことは絶対にない。
ただ黒星がつくだけだ。
勝ちたかったら、絶対に諦めてはいけないのだ。
じつは、安部はミュージシャンの途を諦めたことについて語りたがらないという。
それは、途中で諦めてしまったことに無念を感じているためだろう。
だが、そのときの無念があったからこそ、吉野家倒産時に逃げずにいられたのかもしれない。
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