スポンサーリンク
ワコール創業者 塚本幸一から学ぶ「成功するビジネスの秘訣」
塚本幸一
ワコールの創業者
1920~1998
この世に難問などない。 難問というのはあくまでも本人の主観の問題なのである。 難問だと思っている自分があるだけだ。
塚本幸一は、宮城県で繊維問屋を営む家に生まれた。
昭和13年(1938)に滋賀県立八幡商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校。近江商人の士官学校と呼ばれた)を卒業して家業を手伝い始めるが、20歳になったと同時に招集。
伏見の歩兵連隊に入隊し、インド北部のインパールへ派遣された。
インパールは太平洋戦争屈指の激戦地である。
この地域だけでも日本軍は7万人以上の死傷者を出した。
塚本が所属していた部隊も、生きて終戦を迎えることができたのは彼を含めてわずか3人だけだったという。
復員した塚本は昭和21年に個人商店・和江商事を設立。
当初は女性用アクセサリーの行商をしていたが、取引先から提案されてブラパッドの販売を開始する。
ちなみに、ブラパッドとは、アルミ線をらせん状に巻き上げてその上に真綿をかぶせ、それを布で覆ったもので、小さいバストに悩む日本女性のためい考案されたもの。
ブラジャーとセットして販売したところ爆発的に売れ、これをきっかけにして女性用下着の分野に事業を拡大していったのである。
業績の拡大とともに、塚本は昭和24年に和江商事を株式会社に改組。
1950年代に入り、全国に販路を持つようになったのをきっかけに「ワコール」という商品名を用いるようになり、昭和32年にはそれを社名にした。
塚本は和江商事を株式会社にしたとき「50年計画」をぶちあげた。
その内容は「世界のチャンピオンになる」という、当時としては全くの絵空事だった。
だが、インパールで辛くも生き残った彼は、自身の言葉どおり「難問などない」ということを身にしみて感じていたんだろう。
50年後の平成11年(1999)、ワコールは塚本の言葉どおり世界一の下着メーカーとなった。
彼の言葉は、「為せば成る」という言葉の意味をしみじみと教えてくれるものだ。
にほんブログ村 |
金融・投資ランキング |
コメント